初のウエスタンサバーブ生活
ワーホリでオーストラリアに着いた日からMaroubra いわゆるイースタンサバーブに住み続け(途中一度事情がありインナーウエストのAshbury で数ヶ月過ごしたが)イースタンサバーブをこよなく愛し続けた私達。
海に関しては、未だMaroubra beach はサーファーにとってはベストなビーチだと信じている。
しかし、旦那さんの新たな学生生活を迎えるにあたり、引っ越しを余儀なくされた。
これで5回目の引っ越しとなる。
この当時住んでいたアパートは1 bed で$210で洗濯機置き場は共有エリアでベランダ無しそれでも駐車場は付いていて安い物件には珍しくお湯出放題の湯沸かしシステム。
結構気に入っていた。
ここから出るのはちょっと気が引けたが、どう考えてもここからWestmead は通える距離ではない。
まだこの当時の物件探しはネット上では普及していなかった頃で、新聞Sydney Morning Herald の週末版をチェックしてインスペクションに行きまくるか現地に行って、不動産屋の前に置いてあるチラシを見てまわるかとにかくフィジカルに大変な作業で、車無しではきっと苦労すると思う。
ただ今回のお部屋探しは、今までとはちょっと違ってかなり簡単に決まった。
インスペクションの日にちはまだ先に設定されていたがその物件が気になったので、現地に行ってみたらその部屋が空いていて誰か中で作業をしていた。
覗いてみたらおじいちゃんがペンキを塗っていて、ハローと声をかけて部屋を探してて見てみたかったって言ったら中に入って良いよと言われた。
今部屋中の手直しをちょいちょいやってると言って説明してくれて部屋を案内してくれた。
気に入ってしまった私達はlike it って言ってたら、不動産屋はいくらで出してるのって聞かれて、$135で出てるって伝えたら、$130で良いよって不動産屋行ってPhillip がそう言ってるって言えば良いよって。「? この人ペンキやさんじゃないのか?」そしてらおじいちゃん「ここ僕のビルだから」おーっと
大家さんでしたか😁 こりゃ失礼いたしました😜
って言うか理由もなく家賃値引きしてくれるなんてなんて良い人なんだ〜!
さすが田舎エリアまだまだ人情が残ってる〜😍
早速不動産行って説明したら、インスペクションまだ先だったのにその場で契約してくれた。✨ 異例だ! そして 家賃の安い事!
イースタンサバーブで130ドルで2bed with balcony + car park なんてあり得ない。
それにcar park は屋根付き😃🚗
素晴らしい〜
内装もかなり広い多分イースタンサバーブに比べてこっちの田舎エリアは一件一件の間取りが大きいんだね。🏡
危険で有名なParramatta 毛嫌いしてたけどもしかしたらまんざらでもないかも😃
ってな事で、慣れ親しんだイースタンサバーブMaroubra に別れを告げParramatta での新しい生活が始まった。
夢を追い求めオーストラリアで勉強をする
いよいよ旦那さんの学生生活が始まる。
同級生は30代の旦那さんに対してほぼみんな10代もしくは20代前半。
数日のうちに、シンガポール出身のインド人カップルと仲良くなって、授業の後も一緒に出かけるようになった。
彼らはよく見かけるインド人とは違ってドレッドにまああの当時で言うBファッション。
でも中身はすごく素直で、男の子の方は夢がインターポールで働くこと。
この子たちだけではなく、他の同級生もみんな夢を持って、オーストラリアに留学してきていた。
フィリピンから来ていたいつも成績トップの女の子は、国に帰って自分の国を良くしたい。
などほとんどアジアからの留学生だったけど、「オーストラリアに永住したいから」と言う子は少数派であったと思う。
こんなに若いのに自分の幸せを求めて来るんじゃなくて何かや誰かの役に立つ人になりたいという思いを抱えての留学。
果たして私達が10代の頃にそんな事を考れるほどマチュアであっただろうか?
と反省してしまう。
日本でなんの苦労もなく過ごしてきて、海の向こうの生活を体験したいとか、英語を習いたいとかそういうレベルでなはない。彼らは国では多分裕福なうちの子、でもそれが故に家族のビジネスや母国の事を考える立場にある環境に育ったんだろう。こう言った自分以外の何かを背負ってる子達との交流ができ共に学び未来を考えると言う体験は本当に貴重であったのだと思う。
この学校のこのコースを進めてくれたエージェントさんとここへ導いてくれたすべてのチカラにまたまた感謝である。
学校を探そう!-back to study II-
IELTS のAcademic module で5.5 の結果を出したので、次は学校探し📚
現地の日本人用新聞で留学エージェントを探しまず1件目に訪問。
初めまして〜から始まり、「大学に行きたいんです」と質問を投げかける。
っともちろん今までの学歴、職歴を聞かれる。
っで正直に説明する。すると担当の方、「あーそうですか〜 まあ とりあえず、大学に行くには、英語のレベルの証明でアイエルツが必要ですし、そんなに簡単に入れるものではないんですよー」と苦笑い入りで。(怪訝そうに)
そしてうちの旦那さんが、「アイエルツでしたらこの前アカデミックで5.5でした。」
っと言った途端 「あーそうでしたか、素晴らしいですね〜なかなか一回でその数字は出ないですよ〜」と前のめりに笑顔付き、とさっきとは打って変わっての態度😏
その後、大学の紹介と説明に会話は移行していくが、旦那さんの心は「このエージェントは無いな」と既にさっきの担当さんの態度で決まっていたので、サラーっと聞いておしまい❌
この当時の留学エージェントさん、まあ ちょっと上から目線で対応しがちだったし人の事を保持しているビザで判断して見下す感じの人達が多かったなー。
ワーホリって言うと「あー次はビザ取り学校行って滞在を伸ばしたいのね〜」的なエージェントが本当に多かった。
それに比べると最近は親身になって一緒に将来を考えてくれるエージェントさんが増えて来て凄く良い環境になったと思う✨
旦那さんが2件目に訪れた留学エージェントの担当さんは、実際に本人も現地で大学へ行っていたので自身の経験からのアドバイスもあり人を見下す事もせずとても良い人だった。
結局この親身なエージェントさんにアドバイスしていただき、旦那さんの学歴も考慮した上で普通の留学生の行くEAPではなく、SWIC と言うWestern Sydney University 付属のfoundation course に一年通う事になった。ここでは現地の子供たちで高校に行かなかったが大学に行きたいと願う子や、海外から留学して来て大学に行きたいが、最終学歴が高校までの子達が多く来ていた。
この1年間で大学での授業をこなすのに必要なknowledge 知識を徹底的に英語で叩き込まれる。さらにここの特徴はオーストラリアの歴史等も同時に学習する事でオーストラリアの生活に十分順応できるような人格育成的な事も含まれているという事である。
そうこの1年間で旦那さんは立派なオージーと生まれ変わる?!😜
学校へ行こう! - back to study -
旦那さんが4年のビジネスビザ取得後、早くも2年以上の月日が過ぎていた頃の事。
収入は少なく、貧乏生活ではあったけどまあとりあえずの生活は出来ていたし安定もしていた。
ただビザに対しての不安は常に抱えていた。
不安材料はそれだけではなく、英語力にもあった。
仕事があるのでなかなか勉強する暇はなかったけど、彼なりに時間を見つけて独学でコツコツ勉強していた。
1 毎朝早く会社に行ってSydney Morning Herald (新聞)の記事を一つ読む。
2 English grammar in use red and blue をやり終える。
3 仕事場で日本人以外の従業員と話すように心がける。
この3点を基本に半年ぐらいたった頃、もっとさらに強化したいと考え、夜間のパートタイムのgovernment 政府運営の英語学校に行くことにしてレベルチェックをしてみたらなんと一番上のクラスでpreparation for IELTS class に入る事が出来た😃
独学でここまで持ってきただけで凄い事だと思う。言ってもワーホリで来た当初私たちは、can I have すら知らなかったのだから😅
ちなみにこのとき初めてIELTSの存在を知る。
勢いに乗った旦那さんは英語をどんどん吸収していった。
そこでせっかくだからと、試しにIELTSをacademic で受けた。(class がAcademic 準備用クラスだったので、General の概念がなかった😁)
ドキドキの結果はなんとAcademic で 一発5.5を出した👍😎
周りの誰もが驚いた。😉
知ってる人は知ってると思うけど、General ではまあイケる数字だけどAcademic でこの数字を一発で出す人はあまりいない。
まして日本での英語の勉強は一切無い。
Reading に関しては大学院に行けるレベルだった。
そう、この快挙を経験して私の旦那さんは本気で大学進学を考え始める事になる😊
こうして彼は人生の stage 2 に導かれていく事となる。
オーストラリアに住みたい本当の理由?
予定より長くはかかったが、旦那さんのビジネスビザも無事おり、やっと生活も安定しはじめた。
しかし、ビザをスポンサーしてもらうということはある意味足元を見られる事でもある。
会社側は、ビザを取ってやってるんだからって言う気持ちがあるのでまあ安月給でこき使いまくるのは、暗黙の了解かな😏
この頃は、まだビジネスビザを取ってその後は永住権に繋がるって言う確率が高かった時代なので、ビザを取ってもらった従業員側はまあイイように使われても我慢してた。
今ほど、ポイント制の永住権申請が主流じゃなかったのもあって、ワーホリやスチューデントがオーストラリアに住み続けるにはこれが一番近道だと思われていた。
ただ、日本に居た時からは想像もつかないくらいの安月給。それでも住みたいと思えるのは貧乏してても笑って過ごせる環境があったから😊
日本人のほとんどに言える事。お金の使い道の大半は必要のないものに注がれている。
って言う事を凄く理解したっと言うか気づいたっと言うか学んだ? 悟った?っとそんな感じ。
日本の止めることの許されない経済成長の為の消費文化の渦にのまれ、常に何かの脅迫観念に押され物を買い続ける。
見栄の為の消費がどれだけ日本の経済を支えているだろう。
オーストラリアの生活はそれとは全く違っていた。
一度購入したらその物を使い続ける。持っているもので人の価値を判断しない。って言うか他人の事を気にもとめない。どんなおんぼろ車乗っててもそんなの全く関係ない。って言うかそういう概念さえ存在しない。
朝早く起きて仕事行って4時ごろ帰ってきてパブでビールを飲む🍻
プールを楽しむ。その辺にいる人との会話を楽しむ。
それだけだった。笑いがあった。太陽があった。海があった。
それで充分だった。
だから住みたいと思った。
感謝の毎日だった。
ありがとう。
今思う。また見失ってしまった😔
私はどこへ行くんだろう?でも走り続けた17年間の経験がなかったら、今のこの場へすらたどり着いていなかったんだろう。
再びブルーハーツが響き始めた今日この頃✨