やはり帰国を考慮して
まずはじめに。
前回のブログから長い長い月日が経ってしまった。
過去を振り返るのが少し気が思い感が何故かあって、少しの間現代に集中して見た。
私は「気が向かない事はしない」と言う決め事を自分の中で持っている。
っと言う事で、約半年気にはなっていたけどブログアプリを今日のこの日まで一度も開けなかった。
今日ふとアプリを開けて自分がどこまで書いたか見たくなった。
っと言う事で、ゆっくりだけど再開しようかな。😊
オーストラリアに嫌気がさして何もかもが嫌でストレスに感じてた頃、旦那も彼の大学での選考学科に不安を抱き始めていた。
永住権を目指して得点の高い翻訳通訳を専攻していたけど、実際英語から日本語の翻訳をはたしてオーストラリアで必要とする人、企業がどれだけあるのかを考えると卒業後の就職が簡単ではない事に気付く。
もしかしたら 英日って日本に行かないと役に立たない?!
って実感した彼は、永住権ありきの学科選考に無意味を感じ、学科変更に踏み切った。
前から翻訳通訳より興味のあった言語学に変更した。
帰国を踏まえた生活が本格的に始まった。
続きはまた今度今度😊
ネガティヴスパイラル 真っ只中😰
この頃、シティーのフードコートにあるサンドウィッチスタンドで働いていたが、そこのオーナーはシンガポール出身の中国人夫婦。
この二人の間にはエライべっぴんさんの娘さんがいて大学行きながらちょっとお手伝いに来ていた。
その子は、本当に可愛くて和製オードリーヘップバーンのよう。(厳密に言うと和ではないんだけど)
物心つかない頃に両親に連れられてオーストラリアに来たので、好物は中華🍥よりパン🍞。でも性格はなぜか日本人ぽくオージーのルーズさが我慢出来ないとしょっちゅう愚痴を言っていた。
その頃の私もオーストラリアの生活に嫌気がさしていて、私達はいつもオーストラリア脱出計画の話題で盛り上がってた。
車の盗難に追突事故、とあい続いた災難に加え常日頃起きる理不尽な出来事。
(まあ、順番抜かしとか些細な事なんだけど)
威張るくせに非効率的なオージー😓
そんなこんなで結構本気で日本帰国を検討していたそんなある日の朝。
悪い事ってやっぱり続く🤕
早朝いつものように車で旦那さんに駅まで送ってもらおうと、車に乗り込んで車庫からドライブウエイに出たっ!とそこにパトカーが止まっている。🚓
完全にドライブウエイをふさいでいるので私たちはそこから出られない。
っでどいてもらおうにも中にも外にも誰もいない。途方に暮れてお巡りさんの登場を待っていたが、遅刻が大嫌いな私は、だんだん焦ってきて怒りが浸透してきた。
「なんでひとんちのドライブウエイをふさいでるんじゃ!」
「そっちも仕事かもしれんがこっちも仕事あるんじゃ」👿 (仕事かどうかすら怪しい。オーストラリアの警官は制服着用中、パトカー乗って私用なのに緊急用駐車スペースに平気で止めたりする、っでお昼ゴハン買ってたりする)
待てども待てども人っ子一人出てくる様子はない。
ぶち切れた私は 早朝の住宅街でクラクションを長押し👻
ビービービッ ー
2-3回繰り返したかな?
すると怒鳴りながら女の警官が走ってきた。
Fワードさながらのこの女子は、私達に怒鳴ってきた。
ので、私が「あんたの車が邪魔で仕事に行けない」 と言ったら 「 通報があったからドライブウエイを封鎖して犯人を閉じ込めてるんだ 文句あるんか 公務執行妨害だ」的な事を言ってきたが、まるっきり つじつまが合わない。
ドライブウエイ封鎖したって、いくらでも芝生の上走ったり塀を乗り越えて逃げるだろう。
朝早いから誰も出てこないだろうと思って気がゆるんでドライブウエイに車おいてったんだろ!
しばらく言い合いになって、収まりが見えないので 「黙れ お前の名前はなんだ 後で出るとこ出てやる!」って言ったらこの女警官まさかの 名乗るのを断って、自分で名札確かめろと言ってきた。ハー!?!?
って ぶち切れてたら、上司が出てきてすぐに謝り、その女警官の名前も自分の名前と一緒に伝えてきた。
自分らが悪いのだから、リポートしてくれて構わない
っと言って謝って車をどかしてくれた。
とにかく猛スピードで駅に行き電車に乗って速攻で出勤。
なんとか間に合った。
本当に嫌な事は続く。
本気でオーストラリアがキライになってた。
ここで
在豪3年目と
在豪7年くらいになるとこのようなオーストラリア嫌いになる事が多くこの年数で帰国してきた人が多いのだそう。
今日の感謝は女警官の上司と毎日送ってくれてた旦那さん
ありがとう😌
気をつけて ‼︎ off the plan オフ ザ プラン
今日のブログはスピンオフバージョン
最近のオーストラリアの不動産事情をモニターしていて、少し警告を鳴らした方がイイと思い、急遽手短にoff the plan の怖さをお伝えします。
ここ3年近く続いた異常とも言えるオーストラリア、特にシドニーとメルボルンの不動産の高騰。
ここに来てやっとピークに達したような感じがします。
ただまだ来年2017年も余韻は引きずると言われています。
そんな中、複数のエージェントが日本人相手の不動産セミナーを開催しており、未だオフ ザ プランでの不動産購入を勧める記事をよく見かけます。
オフ ザ プラン off the plan とは 簡単に言うとまだ建ってもいない物件を購入するという事です。
だいたい1-2年後の完成時には物件の価値があっがてるだろうと言う事を予想して安いうちに買っておこう! と言うなんとも魅力的な話し。
物価が上昇し続けている地域で、このプランで不動産購入をして失敗する事はまあそれほどあるわけではなく、結構簡単にキャピタルゲインを望める方法です。
が、しかし 場所と時期を間違えると大変な目にあいます!
完成時に物件の価値が落ちて、銀行の査定価格が自分の購入した価格に達しないと言う想像を絶する事態にはまってしまうのです。
つまり、ローンを物件価格の最大値でくもうとしていた場合(例えば90%)、借りられる金額が自分の予定していた金額に達しないという事。
こんな状況に陥った時に、ホームローン以外にお金を調達する資源がなかった場合、差額を埋めるのに大変な苦労をします。
今後緩やかな下降が予測されるシドニーやメルボルンの物件、そしてInterest rate が低い事で貸し渋りが始まっている銀行。この2点を考えるだけども、これからのオフ ザ プランでの購入は慎重になる必要があると思われます。
もちろん未来の事なんて誰にもわかるはずがなく、誰が正しくて誰が間違っているなんて誰にも分からない事ですが、私が声を大にして言いたいことは、エージェントの話だけを鵜呑みにせず自分でリサーチするべきだという事です。
膨大な量のリサーチが必要となるでしょう。
日本語だけでなく英語の記事をくまなく読んでください。いろんな人の意見を聞いてください。勉強してください。
不動産購入にタイミングは大切ですが、焦ることは禁物です。
もし、オフ ザ プランで購入したい場合は最低でも30%くらい(10%のデポジット含む)の金額をローン以外で払える余力を持っていた方が安心です。
っと言っても私は専門家でも何でもありません。ただの失敗した張本人です。
周りの人たちの寛大で強力な助けを得て、なんとか乗り切りましたが、本当に死ぬ思いをしました。
同じ間違いを他の人にして欲しくないと言う切なる思いで今回 急遽スピンオフバージョンでこの話にふれました。
最後に、当時全く関係ない私たちを助けてくれた天使のようなあの人達にそしてこのような経験をさせてくれたユニバースに今日も感謝の気持ちを送ります。
次は事故!? ですわ 😰
盗難事件から数週間たち、気持ちも落ち着いてきた頃。
Parramatta から 遥々Neutral bayに遊びに来ていた時の事。
ある焼き肉屋さんの前のTの字の交差点で一旦停止していたら、"ドンっ" と強い衝撃でびっくりしながら振り返ったら後ろに大きなRange Rover、 まさかの追突🚙
こっちは停まっていたので、100%悪くないので、とりあえず相手の人と話をするため、車から出て話をする。
向こうも素直に非を認めて謝っていたので、まあめんどくさい事にはならないと思っていた。
警察に来てもらって事故証明をとってもらおうと投げかけたが、向こうは小さ子供と奥さんが同乗していて、ビックリしているしちょっと急いでいるので、話し合いは後日にして欲しいと頼まれた。
まあ、免許証を見せてもらい連絡先ももらったし、それほどダメージも見られないので良いだろうと思いその場を離れた。
その後、約束通り修理屋さんで見積もりを取ってもらいその結果を彼に報告する。
意外に金額が張ったのは事実で私達自身ビックリしたが、彼は相当驚いたらしく急に連絡が途切れるようになった。
でも、私達は別に不当な金額を上乗せしてる訳ではなく、あくまで元どうりにするのにかかる費用を修理屋さんが出した見積もりであって私達に罪は無い。
何度も電話しても電話は留守番電話につながってしまうし、メールへの返信は無いしでこっちも逃げられるのは困るので、自宅まで話をしに出向いた。
まあ 立派なお家に住んでるお金持ちの方だった。そんな立派な人が事故をしておいて無視するなんてどういう事だろうとちょっとイラッとしたが、とりあえず玄関をノック。
出てきたのは奥さんらしき人。
彼女的には突然現れたアジア人にビックリしている様子で最初からUpset している。
説明して旦那さんに会いたいと言ったら今留守だと言うので、私達が「ずっと連絡を待ち続けてるどうにかしてくれ」と言ったらどんどん興奮してきてしまいには怒鳴り始めた。
最後には私達の事を突然現れて彼女を攻撃していると言い始めた。
ここまで興奮した女性には何を言っても無駄で、仕方なくその日は引き戻してきた。
どうしたものかと思い、ネットでいろいろ調べてこう言った事故のトラブルを相談できる場所を見つけて連絡してみた。
最終的に行き着いたのが、NSW の法律相談みたいな所。
相談してどんな手続きが出来るかを教えてもらった結果、相手を法的に訴える手続きを取ることになった。
(これらの一連の相談を私のつたない英語でこなしてきた事には、今振り返るとよくやってきたと褒めてあげたい。)
さて、まず初めにローカルコートが何をしてくれたかというと、sheriff を相手の家に送り直々に法的書類を相手に渡しその人が今どのような状況であるか、的確な対応をとらない場合法的処置が取られる事を説明した。
想像するに、多分相手は自分の家にまさかのsheriffが来た事と貧乏アジア人にこんな事をされた事に相当屈辱的な思いをしたんだろうと思う。
即座に金にモノを言わせて弁護士を雇い、自分の知人の修理屋に偽の見積もりを出させて、事故の跡を見る限り、ダメージは自分がつけたものではなく、法的責任は一切無いと言い分を覆してきた。
事故当初ダメージは全て責任を持って直すと言ってたくせに。
金を使って弁護士を雇った相手に私達が叶うはずが無い。
日本の情報新聞紙を調べて、数件の法律エージェント/事務所 に電話して相談したが、みんな口を揃えて 「難しい、訴えを取り下げた方が安全だ」と言った。
私達は納得できなかった。
金持ちが嘘をついて、一生懸命他国で生きてる私達を踏み潰そうとしている。絶対泣き寝入りなんてしたくなかった。
最後に連絡した林由紀夫法律事務所の林先生だけが、唯一 「いいじゃん Downing center まで行ったんだ、そこまでやるなんてイイよ、日本人はいつも泣き寝入りするけど、あなたたちのその意気込みが気に入った、やってみよう!」 って言ってくださった。
その後、先生が相手の弁護士に連絡を取りこちらの希望を提示、そしたら直ぐに向こうはそれに応じてきた。
すんなり一件落着。これはつまり相手が嘘をついていたことを認めた事を意味する。
事故の日からどれだけ経ったんだろう。
長かったし本当にストレスフルだった。
知らないことだらけで、英語も十分にできないし頼る知人もいないし。
でも諦めたくなかった。戦うしかなかった。
でも最後に、そこにはJustice があった。
林先生に会っていなかったら、どうなっていただろう。
本当に感謝である。
そして、普通の人があまり経験出来ないことを経験出来た事に今改めて感謝したい。
本当に勉強になった。
予感的中! やっぱりやられた😰
Parramatta での生活に少しづつ慣れ始めた頃。
とうとうやられました。
朝カーパークに行ったら んっ ? あれ?
昨日クルマ。。。 何処かに置いてきたっけ?😳
っんなわけないやろ〜😱 やられたよ やられた !車盗まれてるやん
人間予想していない事が起こると意外にその事実を受け入れる事が出来ず物事を把握するのに時間がかかるらしい。
まあいわゆるパニックという事ですなぁ。😐
車がないと旦那さんは学校にも行けないしバイトにも行けない。
とりあえずの盗難届け出作業をするが、出てくることを期待は出来ない。
速攻でやるべき事は、別の車を探す事。
売ります クラシファイドを片っ端から読んで安くて買えそうなものを見つけ速電話。
すぐに見せてもらう日程を決めてその人と待ち合わせ。
今では想像も出来ないくらいボロ車😅
この頃のシドニーの中古車事情: 20年落ちでも動けば売れる🚗🚕🚙
外見はどうでもイイ。ボディーとドアの色が違うなんて当たり前。
ツギハギ車なんて町中で見かける。
そうこの車、立派なツギハギ君🚘
迷ったけど、走りに問題はなさそうだし、とにかく他の車を吟味している暇もないので、ここで手を打つ。
ハイ ご購入ー
旦那さんのバイトが自分の車を使ったデリバリーの仕事だったので、とにかく何でもイイからって即買いしてしまった。
まあ一件落着落着?
ではないけど、大きなものを失い余計な出費が出て踏んだり蹴ったりだけど過ぎ去った事を悔しがって止まってる場合でもないし。
その一週間後。。。
警察から電話。
うちから3ブロックほど離れた所で、我が子が発見されたとの連絡。
いわゆるジョイライドと言われるものでキッズがひとの車を盗んでガソリンが続く限り乗り回し尽きた所で乗り捨てる😟
最低最悪行為😡
今度はどちらか一台を処分する手続きを取らなければ行けない😥
もうほんと嫌になる。
もちろん処分は盗まれた方の車。
何処の誰かわからないボケに乗り回されてしまった車は悪運を持ってる気がしてもう乗れない。
さようならレイザーくん。
短い間だったけど、イロイロ有難う😖
この頃から私達のシドニー生活は大殺界へと突入していく。
やっぱり治安悪い?パラマタ Parramatta
引っ越しも無事終わり、落ち着いたので駅周辺をうろついてみた。
夜この辺を歩くのは初めて。
Westfield shopping center を越え、駅の反対側に回ってみる。
うーんなんか殺伐としている。
Maroubra やCity, Bondi の夜とは何かが違う 確実に🤔!
街を行き交う人の種類(人種も含めて) 何となく、気を引き締めて歩かないとヤバイ雰囲気。
バーガーキング🍔🍟が目に入る。 ン? バーガーキングの前にセキュリティーが立ってる?! マジで? バーガーキングすら危険なのか?
怖くて入れんやんか😦
あとで聞いたらこの辺で殺人もあったらしい。
っという事で、Ashbury の時と同様, 朝は旦那さんに駅まで送ってもらう事になる。
Ashbury の時は駅にさえ到着すれば怖い事なかったけど、Parramatta は駅構内に入ってもまだ怖い。
変な人が朝っぱらからふらついてる。
この先、大丈夫だろうかと不安いっぱいの新生活の始まり。
しかし朝、(5:30) に寝ていたいのを堪えて毎日駅まで送ってくれていた旦那さんの事を今さらながら凄い良い人だと感動する。
本当に感謝感激である。。 ありがとうございます。。😌
始まりはいつも秋
今日はブログを始めてちょうど1年目の記念すべき日
オーストラリアへ行ってから日本に帰国するまでの自分と旦那さんの体験を書くことを決めてゆっくりだけど描き続けてきたこの一年。
出逢った全ての人と体験してきた全ての出来事に感謝する事が第一の目的で、そしてこれが誰かの役にたてたらなという願いを込め始めたブログ。今きょうそれを読み返す。
まだまだ全然、オーストラリア生活の前半しか書けてないけど、自分ごとながら色々あったなーと深く思う。
なぜいつも秋なんだろう。
新しい事を始める時
新しい出会い
新しい気づき
なぜかそれは秋である。
スーツケース一個といっぱいの夢と希望を抱えてオーストラリアへ飛び立ったのも10月
ドン底に落ちてた時期。暗いところををさまよっていた頃ある人に出逢い救われ、突然のgrounding を体験したのも10月
10年以上戦いつでけてきたビザ問題のトンネルに光が差し込んできたのも10月
最愛のワンコに出逢いうちに迎え入れたのも10月
そして、レイキを広める元気なハイジとお茶をしてブログを勧められブログを始めたのも
そう1年前の今日10月
今日は自分がこの世に誕生した日であり、10月は私の誕生月である。
その事実こそが私のこの"秋の不思議"をもたらしているのか、はたまた私という生命体自体が秋にパワーアップする性質を持っていてそれが故、私は10月に地球に誕生したのかは、考えても全く分からない。
ニワトリが先か卵が先かのような話である。
がしかし、しっかりと今年も"秋のパワー" (秋の始まり)を感じた。
この2週間くらいで、新しい出会いと体験が次々とやってくる。
そして、この世界一ストレスフルな東京で少しのGroundingを取り戻す事が出来ている。
涙がこぼれてくる感じに似た落ち着きと静けさを味わう事が出来た。
本当に全ての者に感謝である。